遺体へのレイキ
新年開けまして早々…こんな話題で至極恐縮ですが。
おとといの大晦日はくだんの叔父さんの出棺・火葬日でしたので、
母を送り届けながら、出棺経のみ参加することができました。
そして導師到着までの間、遺影を仰ぎ見ながら亡骸に向けてレイキしたのですが、
それは、この世の執着から解き放たれレイキの導きによって迷うことなく
速やかに光の世界へ向かって行くことができますように、との祈りをこめて。
ところが、死体にはレイキは流れないなんて話もあるとか?
レイキは物質全般にも作用すると言われているんだから
死体だからダメなんて有り得ないでしょう…とその説にビックリ。
それに火葬というのが死後24時間経過後からという決まりは、
それ以前だと蘇生の可能性があるからとも聞きますし。
実際29日夜に亡くなってから2度、叔父の亡骸に対面したのですが、
翌日にはただ眠っているようにしか見えなかった遺体が
2日後にはもう前日の安らかな表情も消え去っていて何かよそよそしく
感情のない単なる物体のように思えたことは事実です。(叔父よゴメン)
肉体は魂の乗り物に過ぎないとはよく言われる言葉ですが、本当にそう…
三次元の重みと束縛からついに解き放たれ蝶となって飛翔したあとの
蛹の脱け殻としてただそこにあるだけの遺体。
生きているうちは肉体と魂は不可分なのでレイキも同時に全てのレベルに作用しますが、
亡くなってからはもちろん魂に向けてということになるのでしょうね。
さてさて、実際レイキはとてもスムーズにふんだんに流れました。
さらに導師が読経を始めると、頭頂に強烈に差し込み始めたレイキの光が、
体内を巡り全身に溢れ、その場に滔々と流れてくるのを感じつつ有難く合掌。
レイキは掌だけでなく特に目と口からも強く出ますし、全身から放射されるもの、
ということを今回またしっかり体感することができました。
それにしても喪主側の経験は過去3度もあるのに
遺体をまじまじ眺めたのは今回初めてのような…?
それだけ喪主側の分刻みのスケジュールと気遣いは大変で
故人との思い出に浸ってるヒマまどないのだわー